人に対して依存、共依存を求めてしまうこと

依存、共依存という言葉について

ここでは誰かに対して依存または誰かと共依存していることについて私なりの考えを書いています。

 

依存や、共依存と聞いてピンとこない方は、この記事を読んでも無駄な時間を浪費してしまうだけになるためここでブラウザバックすることをお勧めします。

ただ、依存共依存というものに興味がある方は、目を通してみるのもある種の考え方を知る材料になるとは思います。

 

もし、自分自身が依存共依存という言葉に囚われてしまっていると少しでも思ったり、依存から抜け出せない状態にいる場合は私なりの考え方を知ってほしいと思います。

 

世間は広いので三者三葉だとは思いますが、第三者の意見を聞くことで、少しでも気持ちが楽になったり、また違う目線から物事を見ることができるようになると思います。

 

1.そもそも依存、共依存とはなにか

そもそも共依存とは何かというところから考えていきます。

ウィキペディアによれば下記のとおりです。

自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖(しへき)状態*1

 

難しく考える必要はないと思います。

簡単に言ってしまえば、依存とは自分自身が相手を必要としている状態であり、共依存はお互いがお互いを必要としている状態であると私は思っています。

 

始めに書いたように、人によっては違うんじゃないか等意見はあると思いますが、ここではあくまで私なりの考え方を知っていただければと思います。

 

2.人が依存、共依存して陥りやすいこと

私の周りの人間関係ではよく、「○○君に依存している。」や「○○ちゃんと共依存の関係です。」等発言されている方をよく見かけます。

 

その中でよく見かけるのは、依存から抜け出せなくなってしまうことです。

依存相手がいないと何もできなくなってしまう状態に陥ってしまっている人が、私の周りにも数人います。

 

それで精神的に病んでしまったり、新たに精神疾患を患うことになっている人を最近ではよく見かけます。

 

依存共依存という関係にはそのような危険がつきものだと私は考えます。

 

3.依存と好きの違い

そもそも共依存という言葉は、ただの都合の良い言葉に過ぎないと私は考えています。

 

なぜそんな言葉があるのでしょうか?

依存しているというのは、少なからず相手に好意を抱いている状態であると思います。

それは好きとは呼べないのでしょうか?

 

同性の方と共依存の関係にある方で、LGBTに理解がない方には伝わらない可能性があるので、ここで頭の上にはてなマークが出た方はブラウザバックを推奨します。

 

つまり、付き合っているわけではないが、カップルとしての関係は求めている状態です。

それはもう、付き合って本当の意味でカップルになってしまえば良いのではないでしょうか?

一方的に依存しているのであれば、「好きです。」と伝えればよいのではないでしょうか?

 

好き依存に差違はないと私は考えます。

 

4.でも、と思う場合

もし、今までの文章を読んで「でも」と思った場合には、その人には呆れてしまいます。*2

 

自分の心の中で考えてみてください。

それじゃないのか。

好き好きじゃないのか。

 

それでもし好きでもでもないという結論に至ったのなら、あなたはこの記事にこれ以上目を通す必要はありません。

 

ただ、もし少しでも好きかもしれないとでも思った場合には、考えを少し変えるべきだと私は思います。

余計なお世話だというのであれば大丈夫です。さようなら。

 

 

している、好きだという結論に至った方の中にも、下記のようにいくつか考え方があると思います。

  • 振られるのが怖いから好きだと言えない。
  • この関係のほうが楽だから言う必要がない。
  • 相手に好意がないことを知っているから、依存しているだけ。

etc...

 

ここでは上記3つに関して、私なりの考えを知っていただければと思います。

 

「振られるのが怖いから」

「振られるのが怖いから」と考えて好きと伝えていない人は、甘すぎると思います。

 

傷つく覚悟もない人間が、相手に好意を抱いて必要とする。そんな都合のことがありますか?

 

ありません。

 

傷つかない恋愛なんてものは、この世に存在しません。

傷ついて、それでも前に進んでいくことで自分自身も成長します。

 

逃げ道を作って逃げ続けて、何か生まれますか?何かに繋がりますか?

どうにもならないんです。

 

気持ちを伝えて、ダメなら諦めて次の恋愛を探すべきだと私は思います。

運命の人はその人じゃなかっただけ。

 

そこで相手を失ってしまうかもしれません。

でもそれは経験として、自分の成長に繋がります。

 

勇気を出して今すぐ気持ちを伝えろとは言いません。

少しずつ、自分の気持ちを整理しながら、相手にアプローチをしながら、タイミングをみて「好きだ」と伝えればいいと思います。

 

それが好きということだと思います。

 

「この関係のほうが楽だから言う必要がない」

この思考に至ってしまっている場合は、重症です。

結果的には、付き合えなくてもよいということでしょうか?

 

相手も同様にずっと依存してくれると思いますか?

 

相手は相手で本当に好きな人を見つけて、そっちに行ってしまうかもしれませんよ?

 

しかもその時は唐突に訪れます。

何の前触れもなく、何の準備もしていないまま。

 

それでもあなたは、「この関係のほうが楽だから言う必要がない」と思いますか?

 

それでいいのであれば、これ以上私の考えをひたすらに書いたこの記事を見る必要はないと思います。

 

少しでも心が揺らいだのなら、少しでも胸がチクッとしたのなら

そんな関係を続ける必要はないと思います。

 

好きなら好きと伝えるべきです。

 

そこで「振られるのが怖い」と思ったなら、この記事を少し遡って読み直してみてください。

 

「相手に好意がないことを知っているから」

相手に好意がないことを知っているのに離れられないのですか?

それはなぜですか?

 

好きだからですよね。

 

でもそれで都合のいいように扱われていませんか?

身体の関係だけの存在になっていませんか?

 

もしそうなっているのなら、今すぐその人から離れるべきです。

その人は、人の心を利用して自分の欲求を満たしているクズです。

 

それでもやめられない、離れられないという方はその人に依存していることで生まれるメリットを考えてみてください。

 

恐らく自分自身が一人になるのが怖くて離れられなくなってしまっていたり、付き合えるかもしれない可能性を信じて依存し続けていると思います。

 

でも考えてみてください。

相手はただのクズです。

それでも一緒にいたいと思いますか?好きだと思いますか?

 

人の性格はそう簡単には変わらないんです。

一度浮気する人は二度三度する確率の方が高いんです。

 

クズはいつまでたってもクズのままなんです。

 

だから、今すぐにでも離れるべきです。

そして、本当の意味で好きになれる人を探すべきだと私は思います。

 

その間あなたは一人になるかもしれません。

でも、一人も案外楽で楽しいもんですよ。

 

何にも縛られず、何も考えなくていいのですから。

 

だから、勇気をだして一人旅に出てみませんか?

 

離れられるだけで頑張れたと言えます。

離れられたあなたは偉いんです。

 

だから、いつかきっとそんなあなたを心から愛してくれる人が見つかります。

あなたは頑張れる偉い人なんだから。

 

5.結論

私の依存共依存に関しての考えをつらつらと並べてきました。

 

共感してくださる方や、途中でどうでもよくなった方等それぞれいると思います。

 

ただもし、

依存という言葉に囚われてつらい思いをしているのならその関係を見直すべきです。

 

私なんて...僕なんて....という考えに至る方もいると思います。

 

ただ、人はみんな価値なんてありません。

貴方だけ価値がないんじゃないんです。みんな同じなんです。

 

地球上の生物として生まれてきただけなんだから。

 

それで死ぬだけなら、少しでも楽しく生きてやろうと思いませんか?

 

1回でも「楽しい」「幸せ」と思える瞬間を増やそうと思いませんか?

 

その瞬間を増やすために、頑張ればいいんだと思います。

 

あなたが本当のを見つけられて幸せになることを祈ります。

 

つたない文章なのに、最後まで目を通していただきありがとうございます。

*1:嗜癖とは、ある特定の物質や行動、人間関係を特に好む性向である。 ウィキペディア参照

*2:「でも○○だし...」と思った方に向けての言葉です。